〒523-8585 滋賀県近江八幡市鷹飼町1481
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四季折々の豊かな自然に歴史と文化が漂う街、近江八幡。みずみずしいお花のおもてなしと真心で、皆さまに安らぎと心の潤いをお届けいたします。
〒523-0891 滋賀県近江八幡市鷹飼町114-3
↑アクセスも良く快適ステイが実現できる
近江商人の故郷、近江八幡。史跡探訪や水郷めぐりも。JR駅歩2分
豪商の屋敷や白壁の土蔵がならぶ町並み散策、琵琶湖八景のひとつ水郷めぐりなど、四季の情緒あふれる近江八幡。エレガントなロビー、そして広めの客室。ゆったりとした旅にふさわしい快適ステイが実現できる
近江 長命寺から安土へ(by 義臣さん)
南紀から葛城を、当麻寺から、やっと近江八幡休暇村へ
今日の予定は 長命寺から、安土、湖東三山へ。
上海出張1・セントレアから23年ぶりの上海へ(by glabraさん)
6回目の中国訪問は上海へ行きました。上海は23年ぶりの2回目ですが、23年前は「古い大都市」だった上海は、今では「未来都市」に変貌しました。いろんな情報で聞いていた「未来都市・上海」をこの目で確かめる旅でした。
【旅行時期】2006/12/11~2006/12/11
【エリア】
上海
【テーマ】
出張
【投稿者】
glabra
大阪と奈良に寄りました♪(by Kenkichiさん)
毎年恒例の年末年始の帰省です。
今回も青春18切符を使いました。
東京〜淡路島の単純の往復では、
満足できず、ついでに遠足をしてみました。
近江スケッチ旅行・秀次それから浅井三姉妹(by 木場三郎さん)
10月の末から11月の初めにかけて滋賀県へ行ってきました。
義母が日本画をやっているのですが、その日本画教室の写生旅行について行ったのです。
表紙の水彩画は近江八幡堀で見た古い蔵の窓です。
蔵の窓ってなにか興味を起こさせます。
蔵の頑丈な壁の厚さが表現されている部分です。日本独特のデザイン。
近江八幡は興味深い町でした。
お城のあった八幡山を囲む御堀とか
古い近江商人商家の町並みとかを見物しました。
この町は1585年に豊臣秀次によって八幡山城と共にその城下町として築かれました。
恥ずかしながら私が知らなかったのはこの豊臣秀次という人のことです。
1568生まれ1595没27年の生涯。
秀吉の姉の子なんですが、秀吉と共に働き共に出世し、
最後には秀吉の後継者として秀吉の養子となり関白にまでなってしまう。
しかしその後秀吉に実子(淀君との間に秀頼)ができたことから
秀吉の邪魔になり謀反を働いたとして一族郎党含め抹殺されるに至る。
こんな人生もあり得るかと理不尽な気持ちが残ります。
秀吉よあんたが悪い
散々褒めて頂上まで上げておいて最後に墜落させて殺すなんて。
秀次の話に関連して色々悲話があります。
例えば駒姫の話。
秀次が秀吉の全国統一のために東北へ出兵したとき山形の最上義光宅に
宿泊しその時姫の駒姫を見初め側室として招きいれることとした。
近江八幡へ輿入れした直後、この秀次事件が起こり駒姫も連座して京都三条河原で処刑された。
関白様の新婚花嫁が一転して処刑。御年16歳。
このとき秀次に連座して京都の三条河原で処刑された妻妾子女はなんと39名。
駒姫だけがかわいそうではありません。
加えて秀次側近の前野長康等の家臣連中も秀次の無実を主張したがために多くが切腹させられている。
もともと秀吉の忠臣だった人々で秀吉自身が秀次に与えた家臣達なんです。
秀吉自身も可愛がっていた部下達。こんな乱暴なことってありますかね。
狂気と化した独裁者秀吉の末期。
1595年のことです。
その後秀吉は朝鮮へ再出兵し墓穴を掘り1598年に没した。
その時秀吉が後継者とした秀頼はたったの5歳。
この秀次のお話って有名なんだそうですね。
つい先日も大河ドラマ功名が辻でもやってたみたい。
女房にこの話をしたらそんなの知ってると言われました。
【旅行時期】2006/10/~2006/10/
【エリア】
滋賀県
【テーマ】
【投稿者】
木場三郎