高野山温泉福智院
海風亭寺泊日本海
ザ・ビー六本木
山口秋芳プラザホテル
山海館
ホテル大高原
鳥羽ビューホテル花真珠
ホテル日本橋ヴィラ
ヒルトン東京
高松東急イン
奥琵琶湖マキノプリンスホテル
〒520-1813 滋賀県高島市マキノ町高木浜
↑全面ガラス張りで明るい雰囲気のレストラン
白砂青松の湖畔にたたずむプライベートリゾートホテル
誰にも邪魔されず静かなひとときを過ごしたいという人にオススメ。ひときわ澄んだ湖水と幻想的な山並みに囲まれた景観は、非日常的な気分を一層きわだたせる。
琵琶湖旅行記
平安神宮〜南禅寺〜永観堂(USAGIでランチ)紅葉(by ステッチさん)
京阪電車で丸太町駅で降りて、歩いてフレンチレストラン”USAGI”でランチ。迷いまくりましたが・・・・。ここはフロアと厨房に男性のみ3人いて、皆さん感じが良い対応でした(^^ゞ
その後、歩いて平安神宮→南禅寺→永観堂へ。南禅寺までの道のりは人が多すぎて^_^;車は全く動きません。京都はやっぱり電車だー!!
ひこにゃんにあえず(by 永遠の旅人さん)
琵琶湖を人の顔にたとえると顔にいつもみるのは、米原から新幹線越しに見るという点で下からみているのかな。北陸へ行ったときは、素敵な横顔と言うところ。そして、先日、関西へ行った帰り、彦根と米原に下車。実は、全国のうちこれまで、唯一下車したことの無い県でした。滋賀といえば、琵琶湖というのが、私のイメージでした。でも今回彦根という町を観光して、大津や他の場所も見てみたいと思いました。ちなみに彦根城は、今年400年記念のイベントが行われるようです。そのキャラのひこにゃんは私の好きなしろねこがモデルのようで、もう数日遅かったらイベントであえたかな。でも数日前に訪れたのも縁かも。画像は、個人用の配布用アイコンをはらせていただきました。今回は、早春の風の強いときだったので、琵琶湖も海のように波が高く横顔も以前北陸へ向かうときにみたのどかな穏やかな物でなく、厳しい表情でした。
冬の京都 〜哲学の道〜(by area88さん)
2泊3日京都の1日目午後です。
東福寺・三十三間堂の後、蹴上から南禅寺を拝観
湯豆腐を食べ、哲学の道を北上しました。
南禅寺⇒永観堂⇒法然院⇒銀閣寺⇒通天閣
途中から銀閣寺の閉館時間が気になりだし、永観堂や法然院は、少し飛ばした感じ・・・。
んで、その後大阪へ
目的は、串揚げを食べることと、通天閣に登ること。
13:00 南禅寺
13:45 順心(湯豆腐屋さん)
14:45 永観堂
15:37 法然院
15:55 銀閣寺
19:00 通天閣
19:45 だるま(通天閣)に並び始める
20:45 やっと番が周ってくる
21:15 ラストオーダーと云われ、しくしく帰る。
22:30 ホテル到着 つかれたー・・・。
いつものごとく、てんこ盛りの一日。
※画像は、南禅寺三門
アンデスへ10(by buchijoyceさん)
ティティカカ湖
5月28日(土)晴
6時から朝食なので6時に行ったらまだ電気もついていなかった。早すぎた。でもスタッフは丁寧にストーブまでつけて歓迎してくれた。食事をして、インターネットでボリビア情勢を探して見た。ラパスにおりる途中でストが行われているらしく、車が通れない。荷物を引きずりながら空港に向かう客の姿もある。空港はまだ閉鎖はされてはいないが、国際便が運行を取りやめているとあった。こりゃぁダメだ、諦めよう。縁がなかったってことだ。政情不安では客は来ない、平和こそが一番の観光だ。
ミチコさんに「死ぬかと思った」とPapasanが言うと
「起こしてくれればいいのに。酸素も持ってきているし、このホテルにも酸素は常備されています。」と。
なるほど、フロントの横で白人ご夫妻がマスクをあてて酸素を吸っている。
「ほら、同じような人がいるよ。無理しないで!吸ってみる?」「いや、もう大丈夫。治った」
チベットで酸素ボンベを買って試したが、私には効果がなかったので買ってこなかったが、クスコで買ってきてやればよかった。なんてったって高地は私の方が先輩なんだから。
7時半、ホテルを出て港へ行く。船着場のまわりはアオコがいっぱい。浄化施設がないのかもしれない。船は小型の遊覧船、内部はベンチにクッションが敷き詰められ、床もカーペットがひいてある。6角形のテーブル、救命胴衣がうずたかく積んであった。階上にはデッキがあり、同様ベンチとクッションがある。乗員は私たち3人に運転手と助手の2人、ローカルガイドのアルフォンソさんが加わって6人。スタッフの方が多い。まことに贅沢な旅である。
ティティカカ湖は標高3810m、船が運航している湖としては世界一の高さにある。大きさは琵琶湖の13倍、兵庫県に等しい。5分の3はペルー領、5分の2はボリビア領。
ティティカカ湖のウロス島とタキーレ島へ行く。ウロス島は半島に囲まれた湾内にある。船がトトラの島に着いた。島に下りたつと足元がやわらかい。ローカルガイドのアルフォンソさんが説明してくれた。
ウロス島はトトラ(湖などに群生するカヤツリグサ科のフトイの一種)で作った浮き島のことである。トトラの根を組み合わせ、その上にトトラの茎を3mほど敷き詰め島を作っていく。トトラの島の上にはトトラを乾燥させて小屋を作り、少し高くしてベッドが出来ている。乾燥したトトラは燃料にもなる。トトラの島では火は一番気を使う。島全体が燃料だからだ。だからかまどの周りに絶えず水をかけている。
主食のパンは揚げたパン。ご馳走してくれたが、私はあぶらものは敬遠しているので食べなかった。トトラの根から出た芽を切って、皮をむいて白い部分を食べる。幼児が食べていた。私も食べてみたが、さくっとした感触、塩でもつければ美味しいかも。もともとティティカカ湖に生息していたカラチという魚を教えてくれた。小さな魚だ。これを開いて天日干しする。塩に漬けるわけではないそうだ。カラチは湖に移植されたマスやペヘレイのために生息数が少なくなってきているという。ペヘレイはもうずいぶん前になるが、神奈川県のフィッシングセンターで飼育していたので、視察に行ったことがある。刺身は高級魚だ。そのとき、たしかアルゼンチンの魚だと教わった。ペヘレイというのが覚えにくくて「ベ平連」と覚えた。いま、若い人たちに「べ平連」と言って通じるかなぁ。
隅の方にウロス島のニワトリといわれるチョカという鳥がいる。全体に黒くて、嘴が長い水鳥だ。エサを与えて飼っている。傍に五位サギの幼鳥(ホシゴイ)もいる。そのゴイちゃんが嘴を突き出してチョカを追う。おかしい。
ここの人たちはアイマラ語を話す。「こんにちは」は「カミサラキ」、「ありがとう」は「ワラキ」、「かわいい」は「ママーリャ」・・と幾つか教わった。ここの島には4家族が住む。この島の名はコンティキ。コンティキ号からとった名だ。若いお母さんが赤ちゃん連れで私たちの横で仕事をしていたので彼女が作った壁掛けを買った。
ウロスには40ほどの島があるが、各島には代表者がいて、さらに選挙で一人の代表者が選ばれている。収入は漁業が主で、後は刺繍などの民芸品を作り、観光収入でまかなっている。野菜などは市が立つ日、たいてい土日に買いに行く。トトラで作った船に乗った。大きな船だが、製作に1ケ月かかった。1年半ぐらいの寿命。船の乗り心地はまことにいい。ゆっくりと動く船は太古にかえったような安らぎを覚える。船代は一人5ソル。
トトラの船が違う浮島についた。カミサラキ島だ。さっき覚えたばかりの「こんにちは」が名前の島だ。ここは8家族の島。すると三つ揃えを着込んだ男性が上陸してきた。愛想良く私たちを歓迎してくれた。この島はプロテスタントの島で、今の紳士は牧師さん。ウロス島に刺繍の技術を伝えたのはプロテスタントのヨーロッパ人で、現金収入を考えてのことだったそうだ。この島には観光用のトトラの家(宿泊施設)がある。きれいに出来ていたが、でも、寒いだろうな。近くの島には保健所、学校もある。この学校と保健所を作ったのはフジモリ元大統領だったそうだ。
トトラの森を過ぎると、湖は深くなる。最深度は21mあるそうだ。水も澄んできれいだ。ここから湾を出て、タキーレ島まで2時間余り、カモメが舞い、この地点が3810mだと気にしなければ、どこにでもある静かな、美しい湖の風景だ。
タキーレ島に着く。普通は反対側から入って山道を歩くのだが、私が歩くのを嫌がるので、違う船着場に船をつけてくれたのだった。島の回りの水は透明度が高い。船着場近くでは数人が洗濯をしている。湖の水は生活すべてをまかなっている。しかし洗濯しているのを見ると使っているのは粉末の合成洗剤だ。おやまぁ。タキーレも観光の島だ。織物を男性がする。
湖はもう海といっていいほど。島影や遠くに対岸が見え、その向こうに白い山々が連なる。「ここからこっちはペルー。こちら側はボリビア。」ボリビア領内の白い山並みがややぼやけて、でも青空に溶け込んで美しく見える。6千メートル級の山々だ。ティティカカ湖の島やボリビアではアイマラ語が使われているが、ここタキーレ島と隣のアマンターニ島ではインカと同じケチュア語が話されている。ここもユーカリが植えられている。
船着場からゆっくりと坂を上り始めると、子どもたちにあった。姉妹だということだった。写真を撮ると手を出す。アメを頂戴というのだ。アメは歯医者がいないからあげてはいけないと旅のしおりに書いてあったのでためらうと、ミチコさんがパンをあげた。それですんだ。観光ずれして子どもたちが観光客さえ見れば、アメ頂戴とかお金頂戴とか言って困っている。他の島では子どもにモノをあげないでくださいと書いてあるとのことだった。観光客はどこでも躾を悪くしてしまっているようだ。文化を壊すことにもなりかねない。
アルフォンソさんが「ムニャ」という草を取ってくれた。香りが強く、ミントと胡椒を混ぜたような香りがする。高山病に効くということだった。Papasanが香りをかいで、「すっとする。部屋に帰って飲んでみよう」と袋に入れた。
坂の途中でおばあさんに会った。ショッキングピンクの上着を着て、黒いスカートに黒い長いショールをしている。私たちがおなじみのアンデスの山高帽はスペインが持ち込んだもの、もともとはこういう風にショールをかけていたのだと言う。ちょっと見には年齢の区別はつかないが、前から見るとおばあさんで、目が白くにごっているし、歯もだいぶ抜けている。
いくつかと聞いたが答えはなかった。私がカンツータの花を撮ろうとしていると察知して花を摘んできてくれた。鮮やかなショッキングピンクの花だ。帽子にさして、ホテルに帰ってから押し花にした。ミチコさんがパンをあげた。かなり多い量だと思ったが、おばあさん、私たちの横に座ってたいらげた。あんがい私たちと同じくらいか、むしろ下かもしれない。パンを平らげると足元も軽く坂を上っていってしまった。私たちは数歩上ってはフ〜、と大きく息をしているのに。ここは高度3800m以上はあるのだ。
途中で待っていれば、食事を買ってきてくれると、アルフォンソさんが村まで食べ物を買いに行った。上の村まで上るのは大変だろうと思ったらしい。「上にはなにがあるの?」「広場があってお土産物を売っているだけ」私は行けそうな気がしたが、Papasanは呼吸が苦しくて無理だったようだ。
野鳥がたくさんいる。蝶もいる。そんなものを眺めていると、上から少女が降りてくるのが見えた。洗濯に行くらしく背中に荷物を背負っている。私たちを見つけてやってきた。「アメ頂戴」「ダメ」「フォト撮って」「いらない」papasanがスケッチをしているのを覗き込んでいる。ちいとも離れない。「ねばるなぁ、いくつ」「8歳」「小銭があるからあげようか」「ダメです」とミチコさん。「なら働いてもらいましょう」と言って私がカメラを向ける。数枚とると、ミチコさんがパンをあげた。すると女の子、お金も頂戴と手を出す。「うんまぁ。」「これですよ」「仕方がない」といって50渡すと、1ソルにしてという。「ダメ」というとふいと向きを変え、ふんとした顔で、さっさと下っていってしまった。「あれですよ。」「ほんとだなぁ」
程なく民族衣装の男女が荷物をかついで下りてきた。男性は幅広い帯をしている。この島の正装だという。格好いいから写真とってもいいかとミチコさんに聞くと、あの二人はレストランの人だからどうぞという。カメラを向けるとお二人さんテレている。草の上の昼食としゃれるつもりだったが、船ですることにする。なんとスープ皿や大きなお皿やスプーンセットを持って、ここまで給仕に来てくれたのだった。キヌアのスープ、ペヘレイの焼き魚、ご飯と野菜。キヌアのスープは美味しかった。ペヘレイの焼魚は淡白で味はカマスに似ている。小さいので身が少ない。スープは美味しく全部平らげたが、魚は残してしまった。するとそのレストランの女性が残りをそばにいた洗濯のオバサンにあげた。オバサンの手は泡だらけ、すると男の子がサラの上から残り物の魚を食べた。後の残りはそのまま袋の中に、家畜の餌にするのだろうということだ。
無駄はない。
船は再び走り始めた。階上のデッキに座って景色を眺めていた。アマンターニ島はエイに似ているとか、例によって私が騒いでいる。
すぐ目と鼻の先で政情不安のストライキとデモが行われていることなど、まったく感じさせないのどかさだ。ストライキは人民の権利だ。やるのは仕方がない。観光客は、事の成り行きが人民にとって良く解決するようにと、黙って見守るしかない。もちろん政情不安の原因が何であるかも知らない。しかし根底には貧困があるんだろうなぁ。その先には植民地支配も大きく起因している。
(後日:大統領は辞任した。とうとう死者もでたという。しかし新大統領就任で、事態は収まりそうだときいた)
そのうちに寒くなってきたので、風邪を慮って下りて船内のベンチでミチコさんが貸してくれたひざ掛けをかけて寝てしまった。「トトラの林に入ったよ」とPapasanが起こしてくれた。もうじきだ。夕方の光がまたいい。カメラを出して船尾から狙っている。
ウロス島に来た。近くにいた人たちが手を振っている。こちらも振り返す。
やがて港に着いた。山の端に夕日が沈んだ。日が沈むといきなり寒くなる。さっきまで暑いくらいに照りつけたあの余熱など残っていないかのようだ。
ホテルに戻る。部屋に入って毛布とオイルヒーターの点検をし、急いで強力にして暖房する。2台のストーブ(頼んで2台貸してもらった)が温めるのと、寒さが襲うのと、時間を争っているようだ。どっちかというと寒さに軍配があがる。オイルヒーターに触ると実に熱いのだが、部屋の割りに小さいのかもしれない。トイレも暖房がないので冷え切っている。
外に行かないでホテルで食事をすることにする。ホテルの食事はスープも鳥のカツレツも美味しかった。Papasanはペヘレイだが。こんどの魚は大きい。それでも、のど元過ぐれば・・で、懲りないオジサンはビールを飲んでいる。
明日は7時出発。「さぁ、もうこれで薬を飲まなくていいぞ!ボリビアに行けないのはちょっと残念だけど」というとPapasan、「これで高地を離れられると思うとうれしい」とよろこんでいる。よほど懲りたんだ。
FM (NH特典) で行く 海南島&雲南 【その1】 富山→上海(by MILE JUNKIEさん)
2006年末で期限になるANAマイルがありましたので、それを消化するべく、年越しで出掛けることにしました。
とりあえず、今まで利用したことのなかった上海航空の特典にしようと思い、まずはホームページで路線図を見ます。冬なので暖かいところがいいかなと思った以外には、特にどこにするという希望もありませんでしたが、今まで行ったことのない都市で、一番お得そうな(?)場所を選ぶことにしました。まずは西双版納と麗江で散々迷ったのですが、結局麗江に決めました。それにもう1ヶ所、海南島(三亜・海口)を加えて、予定が決定しました。いろいろと考えるのに時間を掛けてしまった結果、発券は11月末になってしまいました。
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旅の始まりは、「富山」から…。
お昼前に自宅を出て、約8時間。JRで富山まで移動しました。18きっぷを使ったので快速や普通電車ばかりなのですが、敦賀まで新快速が行くようになったので、気分的にはずいぶん楽でした。しかし、敦賀から先はかなり長く感じました。
ところで、富山からの出国にしたのは、関空の空港利用料を払うのが癪に障るので!というのが理由です。今回の場合だと、富山のホテルが4,560円でしたので、利用料を浮かした分に約2,000円プラスして1泊した計算になります。なお、JRは18きっぷなので、富山でも関空でも同じ(2,300円)です。
翌日、富山空港で「出国/TOYAMA A.P.」のスタンプを貰い、中国へ出発しました。
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【ルート】
◆(その1)
最寄り駅+++++姫路++++(新快速)++++敦賀++++++福井++++++金沢+++++富山(泊)
富山→→(FM)→→浦東
(その2)
浦東→→(FM)→→三亜(泊)
三亜(泊)
(その3)
三亜========海口(泊)
海口→→(FM)→→浦東
浦東空港=====虹橋空港(泊)
(その4)
虹橋→→(FM)→→昆明(泊)
昆明→→(FM)→→麗江
麗江========大理(泊)
(その5)
大理(泊)
大理========麗江(泊)
(その6)
麗江(泊)
麗江→→(FM:昆明経由)→→虹橋
(その7)
虹橋空港=====上海市内(泊)
上海市内+++++龍陽路++++(上海リニア)++++浦東空港
浦東→→(FM)→→関西
関西空港++++(関空快速)++++大阪++++(新快速)++++加古川+++++最寄り駅